手術 病院でのリハビリ 家でのリハビリ これからの目標 怖い話
発症の経緯
40歳代に入って、歩くスピードが落ちる。ただ急げは急ぐことはできるので、脳性マヒ者一般にみられると言われている少し早めの老化と思っていた。確かに肩のこりはあり、痛み止めを服用することはあったが、ワープロ(使い始めはシャープのWD−500)、パソコンを仕事にも使っているので、この程度はやむを得ないかなと思っていた。
2000年前後からごくたまに転ぶようになった。ただフォローはできていたので、軟着陸という感じで、ケガや痛みは生じなかった。
2002年ごろから歩き方が悪くなったことを実感。かかとから足を地面につけ、懐を深くとる形の歩き方ができなくなった。
2003年7月、旅行に出掛け、ホテルのじゅうたんが歩きにくく感じた。その帰り、落したものを拾おうとして、地面に座ったところ、立ち上がることができなかった。基本的には運動不足かなという認識であったが、日常よりも歩くことの多い旅行が終わった段階で、いつもであれば動きが良くなるはずであるのに、動きがおかしいままということは変だと思った。
その後、翌年2月までの間に、外出中や布団から起き上がるときに何回か転倒。いずれも手も添えられずまともに転倒という感じであった。不幸中の幸いか? 骨折には至らず。(手術を担当した医師によると、私の骨がものすごく硬く、頚椎への移植のために腰の骨を採ることに苦労したとのこと-手術後、最初に言われたことがこれであった)また、頭を打つこともなかった。
9月には、横浜や湘南台へ少し遠出をすることがあった。行ってから友人の手を借りて歩くことが多くなった。歩き方も多少悪くなった。
10月ごろから、出勤のとき、以前には多少遠回りであっても階段の少ない東京駅を利用し、地下鉄大手町駅の長い階段は避けていたにも拘わらず、階段のてすりが使えるということと、中野駅に出てバスに乗れば、歩く距離が少なくなるということで地下鉄をあえて利用するようになった。
11月末に週一回の出勤を中断。そのときは冬寒くなるからというような軽い気持ちであった。このころまでは、普通のスピードで歩こうと思えば歩くことができたが、疲れやすく、家から駅までの間を何回も休む。内臓の病気を疑ったこともあった。これを専門的には間欠跛行と言うらしい。
12月中旬 新宿へ買い物に行く。帰りはタクシー。ふらつきながらも、何とかまともに歩けた最後。これ以降、機能低下急に進む。冷えると悪化するという感覚であった。
12月下旬 つえを持って新宿へ行く。目的の場所まで行くことができずに、途中で引き返す。
2004年1月下旬 何とかつえで歩けた状態で、抜けられない用事があってタクシーで外出。行き先の事務所の中ではキャスターの付いた事務椅子を入り口までもってきてもらう。帰りのタクシーを降りた後、家までの20メートルが歩けず、道に座り込む。通行人に助けてもらい、やっとの思いで帰宅
その後は左足が感覚的に重く、棒のようになり、曲げ伸ばしができないので、つかまり歩きしかできなくなった。階段はてすりを使って右足から、また、左足ばかりでなく、左手にも機能低下がみられるようになる。左手については、もともと右利きであるにもかかわらず、腕力だけは左の方が自信があったが、開閉ができなくなり、少ししびれるという感じで、這うことができなくなり、パソコンのシフトを押すことなど細かいことが困難になった。それでも腋の下の力が残っていたためであろうか、てすりにつかまって身体を支えることは可能であった。右手、右足には異常は生じなかった。(もともとの脳性マヒということでは、右マヒの方が若干強いのかもしれない。右足は少し外に回しながら歩いていた)
それでも50歳まで歩けたことはもうけものと思わざるを得ないのではないかと思い医者へは行かず。実際、50歳での発症は、歩いていた脳性マヒ者としては遅かった方かもしれない。
2月下旬、それでも脳梗塞などの疑いがあるということで、以前一度肩の痛みで治療を受けたことのある障害児医療センターへ行き、頸椎症の疑いと診断される。その20年前に治療を受けたときの首のレントゲンが残っていた。当時問題がなかったということで、首の骨については安心していたような面もあったが、状態は全く変わっていた。惨状と言っても過言ではなかった。
2月末までは通常の仕事を行い、3月はじめから仕事を休む。
3月上旬に医療センターから紹介された○○大学付属病院に検査入院。頸椎症との診断が確定
3月下旬本入院。本入院のために病院に向かうタクシーの中で、長嶋さんが倒れたというニュースを聞く。
4月上旬手術。
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